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最高裁判所第三小法廷 昭和29年(あ)1808号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人山本茂夫の上告趣意第一点について。

所論引用の大法廷の判例の趣旨とするところは、いわゆる喧嘩は、闘争者双方が攻撃及び防御を繰り返す一団の連続的闘争行為であるから、闘争のある瞬間においては、闘争者の一方がもっぱら防御に終始し、正当防衛を行う観を呈することがあっても、闘争の全般からみては、刑法三六条の正当防衛の観念を容れる余地がない場合があるというのであるから、法律判断として、まず喧嘩闘争はこれを全般的に観察することを要し、闘争行為中の瞬間的な部分の攻防の態様によって事を判断してはならないということと、喧嘩闘争においてもなお正当防衛が成立する場合があり得るという両面を含むものと解することができる。

しかるに原審が、控訴趣意を容れて一審判決を破棄する理由として判示するところによれば、本件闘争関係の推移として、被害者村山初一はいわゆる遊人であって、その輩下を含めて何らかの理由により被告人の主筋に当る新開唯雄ないしその組織する共愛会に敵意を抱いて居り、そのためはじめ村山側より新開唯雄一派に対し挑戦的態度に出で、村山またはその輩下による共愛会会員上坂光男に対する暴行、さらに自己及び輩下において刺身庖丁を携帯し同会員中村正盛方に押し掛け同人を殴打する等、本件闘争関係が村山一派の新開一派に対する全く一方的攻撃に終始した集団的対立なることを示しながら、「かかる事情の下においては中村救援が当面の目的であることは勿論だとしても被告人等において村山と喧嘩闘争に至るやも知れないことは当然予期していたものと解するを相当とする」と断じ、次いで両派の具体的な闘争関係を説明した後、末段において、「そうだとすれば動機の曲直は何れの側にあるかは暫らく措き」と前提し、終局段階における村山対被告人の闘争を捉えて、「被告人と村山との間には後者が前者を蹴り前者が後者の臀部を刺したことによって喧嘩闘争は既に開始され」と判示し、結論として、「村山の追跡、被告人の村山刺殺は右闘争の延長でありその一部をなす攻撃防御であって原判決のようにその一部を他から切り離して事を論ずることは事の真相に徹しないものといわねばならない。そうだとすれば被告人の本件所為は喧嘩闘争の一駒であり、これを組成する一攻撃に過ぎないものと云うべく素より正当防衛の観念を容るる余地がない」と判断したのである。

以上によってみるときは、原審は村山初一と被告人との間に判示のある特定の段階において喧嘩闘争が成立したものと認定し、喧嘩闘争なるがゆえに正当防衛の観念を容るる余地がないと判断したことが認められるから、その結果として正当防衛はもとより、従ってまた過剰防衛の観念もまた全く成立すべくもないとしてこのことに触れなかったものと認められるのである。このような原審判断は、喧嘩闘争と正当防衛との関係について、ひっきょう喧嘩闘争を認めるにつき一場面をのみ見て闘争の全般を観察しなかったか、または喧嘩闘争には、常に全く正当防衛の観念を容れる余地はないとの前提にたったか、いずれにしても結局前記判例の趣旨に反するというそしりを免れないのである。従ってかような判断に基く限り、本件につき少くとも過剰防衛の有無ないし量刑についても影響あること論をまたないところであって、右判断は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免がれない。よって爾余の論旨に対する判断を省略し、刑訴四一〇条、四一三条により原判決を破棄し、本件を福岡高等裁判所に差し戻すべきものとし、裁判官一致の意見で主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本村善太郎 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 垂水克己)

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